秋田の酒大百科


2014.02.05

美酒王国秋田の歴史(4)

戦時、そして戦後の時代の変遷を乗り越え、昭和28年(1953年)に現在の酒造組合が誕生し、今日に至ります。

戦時の企業整備

昭和初期、世界的経済恐慌や戦時体制にともなって中小企業の再編成や整理統合が徐々に実施されるようになり、多くの蔵元が休業や廃業の途を余儀なくされました。昭和16年(1941年)には「企業許可令」(整備、統合の基礎確立)が、また17年(1942年)には「企業整備令」(各種整備要綱に法的強制力を与える)が公布施行され中小企業の再編成が強力に推進されることとなりました。清酒の原料米の配給が年々減少する状況下で酒造業界でも整理統合は必至となり、昭和18年(1943年)の酒造組合法の改正では組合の目的に「酒造業の整備発達」が追加され、整備すべき工場を操業、保有、転用及び廃止に分けられました。清酒業界における一大変革と言われるこの「企業整備」により酒造家は各税務署単位に統合され新会社を設立、または単独操業工場として残存、更には保有工場として権利を保有、または廃業することとなり、整備前は125あった県内酒造場数は整備後に48となりました。都道府県毎の整備割合は全国一律ではありませんでしたが、半数の製造場が転廃するという清酒業界前代未聞の苦難の事態を迎え、幾多の悲劇を秘めつつ、昭和19年(1944年)春までに完了となりました。

戦後期

終戦直後は食糧の窮乏により酒造用原料米の割当も少なく、大変厳しい社会情勢でしたが、その後の日本経済は驚異的復興を遂げ、清酒の製造量も年々増加し、予想を超えた急テンポで近代的産業構造へと移行していきました。
また、前述の企業整備による保有・転廃業者に操業復活の機会が与えられたため、廃止工場から復活した者、統合会社より分離して以前の個人企業に復した者、統合会社として存続した者など、それぞれ変遷を辿りました。
このような状況下、昭和28年(1953年)酒税の保全と酒類業界の安定を目的として「酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律」が公布され、この法律によって戦後新たな秋田県酒造組合が誕生し、今日に至ります。

近年の発展

秋田の蔵元は大正、昭和と全国を驚かす好成績を、その時代の卓越した酒造技術で勝ち取ってきました。近年は秋田県産の酵母や酒米の開発が進み、その中で特に平成3年(1991年)の第79回全国新酒鑑評会では「秋田流・花酵母(AK-1)」を使用した酒の躍進によって26点の金賞を受賞し、都道府県別の蔵元数受賞全国第一位の好成績を挙げました。現在も金賞受賞酒や入賞率で常に上位に位置しており、酒造技術と酒質に磨きをかけています。

また、海外で開催される日本酒コンテストにおいても秋田県産酒は数々の賞を獲得しています。世界に通用する品質の高さを証明して、さらなる発展を続けています。